2009年5月18日月曜日

逆援助電撃

タレントの勝俣州和が18日、都内で行われたアニメ映画『崖の上のポニョ』のDVD発売記念イベントに出席した。17日夜に、所属事務所を通じて一般人女性との“オメデタ婚”を電撃発表したお笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志に向けて、勝俣は「結婚は“修行”ですから。修行の道へようこそ」と2002年に結婚し、2児の父でもある “先輩”としてエールを送った。
2008年度の映画興行収入1位を記録し、1287万人を動員したアニメ映画『崖の上のポニョ』のDVD発売を記念して『ポニョがやって来る!』イベントを開催。イベント前に一足早く水槽内に登場したポニョに、タレントの森泉は「ちょっとしか見られなかったから、今日ポニョを連れて帰りたい」とすっかりメロメロの様子だった。

 また、松本の話題に触れた勝俣は、結婚を“修行”だと例え「大変だと思うより、楽しいと思って修行すると学ぶことが多い」と話し、「(松本は)何かを作り上げる人ですから。(今後の作品には)奥さん、子供さんの愛とか優しさとかのエキスが入ってくと思う」と今後の作品への期待を寄せていた。

 会見にはほかに女優の佐藤藍子、福田沙紀が出席。ポニョが水族館の水槽の中を泳ぐイベント『ポニョがやって来る!』は19日(火)より東京・エプソン品川アクアスタジアムを皮切りに全国7か所で開催予定。DVD『崖の上のポニョ』は7月3日(金)発売される。

タレントの勝俣州和(44)が18日、結婚を発表した「ダウンタウン」の松本人志(45)に新婚生活の心構えを説いた。

 勝俣はこの日、女優の福田沙紀(18)、森泉(26)、佐藤藍子(31)らと都内でDVD「崖の上のポニョ」(7月3日発売)のイベントに参加。松ちゃんとは準レギュラーを務める日テレ系「ダウンタウンDX」で共演しているが「(結婚間近な)感じはしなかった」と振り返りつつ「結婚とは修行。修行の道へようこそ」とニヤリ。自身は今年3月に第2子の長男を授かったばかりで「(子供は)いろんなことを教えてくれる。僕はもっと子供になった」と話していた。
松本 人志(まつもと ひとし、男性、1963年9月8日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は「浜ちゃん」こと浜田雅功で1982年にコンビ結成。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属で、吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生。通称は「松ちゃん」。兵庫県尼崎市出身。血液型B型。左利きだがキャッチボールを右手で行う(右手で投げる)。既婚。身長172.8cm。
1982年
に兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、中学時代からの友人であった浜田雅功と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。入学当初から浜田とコンビを結成。

ダウンタウン
としてテレビ番組にレギュラー出演。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系列)『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列)等では出演のほか番組の企画・構成も担当した。

1994年
から1995年にかけて、松本が週刊朝日に連載していたエッセイが単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部の売り上げ。また、1994年度の高額納税者番付でタレント部門の1位になる。

1990年代後半より、『一人ごっつ』シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮)」、料金後払い制ライブ「松風'95」、コントビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』など、個人での活動も行うようになる。

1997年
10月、『ダウンタウンのごっつええ感じ』スペシャルが、松本への事前連絡無しにプロ野球の優勝決定試合に差し替えられたこと等を理由に、同番組の打ち切りを決定する(本人はそれ以外の理由があったと話している)。その後のフジテレビとの関係が心配されたが、この打ち切りは日曜20時枠とコント番組に対しての撤退に限定したもので、その他のレギュラーの降板は無かった。

1998年
、ビートたけし編集の雑誌「コマネチ」でたけしとの初対談が実現。

1998年
、7月19日放送の「ガキの使い」内のトークコーナーにおいて「髪を2ミリにするわ」と発言し、その後(次週)7月26日放送から実際に坊主にし、現在に至る[1]。坊主にした理由について「不必要な物を排除したかった」とのこと。

1999年
、松本に密着したドキュメンタリー番組『松本人志の本当』(NHK-BS)放送。

2000年
、自身の原案で『伝説の教師』(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。

2000年
、尊敬する島田紳助とのトーク番組『松本紳助』放送開始。

2001年
、構成作家の高須光聖とラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)を開始。

2001年10月12日
、復活スペシャルとして『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』が放送される。視聴率は9.0%。期待していたものより高くなかったのと、フジテレビの編成や制作のまずさを指摘、「本当に面白い事はテレビではもう出来ない」と発言。そしてダウンタウンとしてはテレビ向けコントを制作しないことを宣言する。

2006年
、第2日本テレビのVODにて新作コント「Zassa(ザッサー)」を配信。

2006年
、レンタルビデオ店のアダルトコーナーにいる姿の写真を雑誌FLASHに無断で掲載され、その写真が防犯カメラの記録ビデオから転載したものであったため発行元の光文社らを訴え、勝訴した。これにより、「防犯カメラのビデオ映像からの写真転用は訴えられるほどの悪事である」という主張が認められた。

2007年
、本人が企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し監督デビュー。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されたが、新人監督賞にあたるカメラ・ドールの受賞には至らなかった。6月1日放送の『さんまのまんま』で明石家さんまと10年ぶりに共演。その他『笑っていいとも』等にも出演したが、宣伝を名目に色んな番組に出てみたかったとの事。

2008年
、東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。たけしとは公の場で初の共演となった。

2009年
、所属事務所を通じて一般人女性(元タレントの伊原凛)と結婚したことを発表した。

人物
芸風・仕事
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』でのフリートークにおける即興的な笑いのスタイルに特徴を持ち、また『ダウンタウンのごっつええ感じ』で見られる作りこんだコントにも定評がある。コントの役になりきる自らのスタイルを「憑依芸人」と名付けている。自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、自らの番組の企画・構成も行い制作にも積極的に関わる。

ソロとしても「人志松本のすべらない話」「働くおっさん劇場」などのテレビ番組の出演や、ビデオ短編「頭頭」、DVDオリジナルコント短編集「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」などを制作し、2007年には初の映画監督作品『大日本人』を発表するなど、クリエイターとしての多彩な活躍を見せる。

1999年6月より2008年6月号まで雑誌日経エンタテインメント!にて松本人志のシネマ坊主という映画評論の連載を開始。10点満点で新旧様々な映画を採点していった。 連載終了時に「この連載をまる9年続けて、僕が認めるような面白い作品は、めったにないという結論もでましたからね。」というほど採点は厳しいものであった。 しかし10点満点をつける作品も何度か出ている。 ライフ・イズ・ビューティフル、ダンサー・イン・ザ・ダーク、鬼が来た!、ディープ・ブルー、モンスターズ・インク、ペーパームーンなどがそうである。 連載終了理由は「昨年、大日本人を撮って、映画監督としてデビューしたのですが、 今後も映画をちゃんと撮っていきたいと思っています。 それにあたって、そろそろ人の映画を「ああだ、こうだ」と言ってるんじゃなくて、 純粋に評価される側に立ちたいという気持ちになりました。 それで映画批評の連載も一区切りつけようと思ったわけです。 」というものである。

趣味・嗜好
父親の仕事の関係上、様々な公演チケットがよく手に入る環境にあり、吉本新喜劇などの舞台をよく観に行っていた。テレビのバラエティ番組も好きで、ザ・ドリフターズなどの番組もよく観ていたほか、笑福亭仁鶴、桂春蝶らの落語も好んで聴いていた。また小学校時代、友人と漫才コンビを組んで実際に人前で演じるなどしていた。

特技は自動車の運転。『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』ではリンカーンのリムジンでの縦列駐車に成功している。趣味はビリヤード、テレビゲーム。

サッカー
、プロ野球をはじめ、スポーツ嫌いで有名だが、友人に辰吉丈一郎がいるように、ボクシングなど、一部格闘技は好む。ボクシングには自身も挑戦したことがあり、その習得する様子を番組にしたこともある。また、松本が唯一好きであったと公言するプロ野球選手として、元中日ドラゴンズの松本幸行の名前を挙げている。ただし、その理由は変わっているので彼のリンクを参照のこと。また、「ごっつええ感じ」が終了したのも、松本の野球嫌いが関係している。

フィンセント・ファン・ゴッホ
、アンネ・フランクを好み、NHK BSの番組『松本人志の本当』でアムステルダムにあるゴッホ美術館とアンネの隠れ家を訪れている。

アダルトビデオ
、風俗好きを公言している。ただし、ソープランドについては人生で1度しか行ったことがないと語っている[2]。

山口百恵
の大ファンである。又、歌手では佐野元春、矢沢永吉、長渕剛のファンである。最近では野狐禅が良いとラジオで語っている。

「仮面ライダー」や「ジャイアントロボ」のDVD-BOXを所持するなど特撮ヒーロー番組を好み、自身のコントにも特撮ヒーローをテーマにしたものが多く存在する(「ミラクルエース」、「ゴレンジャイ」他多数)。また自身の初監督作「大日本人」も特撮ヒーローをテーマとしている。

ヘビースモーカー
だったが、2003年から喫煙量を大幅に減らしている(全く吸わなくなったわけではない)。本人曰くニコチンの出るパッチを貼って禁煙の努力をしていたとの事。2004年4月には、事実上の禁煙状態であることを明かしている。[3]2008年大晦日に放送された「ガキの使いやあらへんで!!」の罰ゲームの最中、メンバーはタバコを吸っていたが、松本だけは吸っていなかった。

昆虫が苦手で、特にゴキブリが苦手。自分が世界一ゴキブリが嫌いな人間とも語っている。

嫌いなものはピーナッツバター、光り物。

好きなドラマはパパと呼ばないで、北の国からなど。

家族
3人兄弟の末っ子。家族構成は父、母、兄、姉。家族の話を番組ですることが多く、番組に出演させることもある。

父親の譲一は大阪府出身、母親の秋子は三重県津市出身。祖父の昇次郎は刺青をしていた。

実兄はヒューマックス株式会社の取締役であり、2007年に歌手デビューをした松本隆博。

独自の語彙
ブルーになる
。憂鬱な気分になるというような意味。

ヘコむ
。落ち込む、傷つくという意味。これは古代の日本で使われていた言い回しで、松本がメディアで頻繁に使用したため現代の日常語として定着した。

寒い
・サブい。面白くないという状況。今では芸人のみならず、日本人全般が使用する。

うすっ
・あつっなど。形容詞の最後の”い”の代わりに”っ”を使う。ダウンタウンが多用したため関西弁のイメージが強いが、標準語でも使用可能である。

スベる
。笑わせようとして失敗すること。現在では日本人全般が使用する。

逆切れ
。本人が悪いのに怒るという意味。これも現在では芸人だけでなく、一般人にも広く使われる言葉である。

絡む
・絡みづらい。番組で共演したりトークすることを絡むという。たまに一般人も「絡みづらい」という言葉を使用することについて「お前らが絡みやすかったことあんのか」と言っている。

乗り
。話す本人が設定している立ち居振る舞い、キャラクターなどのこと。「あいつのノリ疲れるわ」というふうに使う。

ミニコント
。80年代、2丁目劇場で活動していた頃、アドリブやちょっとした冗談で行うコントをミニコントと呼んでいた。今では多くの芸人が使用する。[4]

ごっつ
。ものすごくという意味。大阪弁で言うめっちゃのこと。本人いわく「めっさ」は普通として、「ごって」や「てっさ」なども使用していたとのこと。

ドM
・ドS。本人いわく、「昔はドMどころかSMという言葉さえ一般人には通用しなかった。」、「SMにドをつける習慣は無かった。」という。[5]

その他、独特の言い回しなど。

”~というような感じの”を短く言い換えて「~的な」を多用する(していた)。例:「それってもしかして僕に言ってるの的な表情しよんねん」

”~の要素が含まれる”を言い換えたものと思われる「~入る」例:「今の言い方、ちょっと藤岡弘入ってるやん」「あいつたまに風邪のフリするから、アクター入る時あるから」

その他エピソード
少年時代に漫画『天才バカボン』、『トイレット博士』等に影響を受け、漫画家を目指すが、赤塚不二夫著作の漫画家教本に「漫画家は算数(九九)が出来なければならない」と書いてあり、九九が苦手だったことから漫画家への道を断念したと語っている。『バカボン』は大好きだったのに最終回の「バカボン一家がサヨウナラ」は観られなかったと語っている。その他、ギャグ漫画家ではいがらしみきおを褒める発言もしている。

裕福な家庭ではなかったため、限られたものを使って自分で遊びを発明するなど創意工夫の中で発想力や想像力が鍛えられたと語っている。インタビューでは「タダ(無料)で始められるから笑いを始めた」と語っている。[6]

子供の頃、自転車を買ってもらえなかったため、いつも自転車を漕いでいるフリをして踊りながら町内を歩き回っていた。人が来たら避けるフリをしたり、友達の家に着いたら自転車を停めるフリもしていた。[7]

尊敬する芸人と公言しているのは藤山寛美、島田紳助、志村けん等。

AV女優
・松本コンチータの名付け親である。

毛じらみ
をうつされた経験があり、一時期自身の番組などで頻繁にネタにしていた。また暫くしてから、再び「毛じらみ」になったことを番組内で語っている。

番組ではスーツを着用することが多く、ネクタイの先をズボンに入れるのが拘り。

ザ・クロマニヨンズ
(元THE HIGH-LOWS・THE BLUE HEARTS)の甲本ヒロトと親交があり、番組での共演や、ハイロウズのアルバムジャケットのデザイン、CM出演などをしている。

中学生の頃浜田に3000円貸したと主張しているが、浜田はその事について全く身に覚えが無い。「3000円返せ!」「借りてへんわ!」との言い争いは、20年以上経った現在でも時折TV番組等で行われる。

携帯電話
のメモリーはどんどん消していく。件数を聞かれて「90件。そのうちお店が60件。」と答えている[8]。

「ごっつええ感じ」内の理科の実験コーナーの時、意図的に作動させたエアバッグで顔面を大怪我した事がある。

いぼ痔
になったことが2回あると番組内で語っている。1回目は20代前半の時に発症し、薬局で販売している軟膏で治ったが、2回目は痛みがひどく、病院で治療を受けた。現在は完治しているという。

伊集院光
は松本を「松本さんの凄いところは、“松本人志の本当の面白さがわかるのは俺だけだな”とみんなに思わせる事ができるところ。だから視聴率30%とか取れるんですよ」と評している。

本人も認める極度の人見知りであり、自分のホームグラウンドではない他人の番組へのゲスト出演等も苦手と語っているが、初監督作である『大日本人』の公開前には乗り気で「宣伝を口実に色々な番組に出てやろうと思った」と語っていたり、『虎の門』のしりとり竜王にも参戦してみたいと語ったり(実際にゲスト出演もしたが審査員としての出演というかたちであった)、『食わず嫌い王』、『うたばん』、『100人目のバカ』などいくつかの番組に対して「出演してみてもええねんけど…」と語っている。 その一方で『恋するハニカミ!』にはどんなことがあっても出演することはないと、自身のラジオ番組である『放送室』で語っている(『恋するハニカミ!』は『放送室』の共演者で、小学校から付き合いのある構成作家の高須光聖が構成をつとめているため、というのがその理由である)。

高校時代浜田雅功と素人芸能番組に出演した時、横山やすしに才能があると絶賛されるが浜田はダメだしされる。

作品
松本人志個人での出演、監督作品を記載。ダウンタウンとしての出演作品はダウンタウンの作品の項目を参照。

アニメ
きょうふのキョーちゃん
フジテレビ系の番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』内で放送された松本原作によるアニメ作品。過激な内容で視聴者からの苦情が多く7回で打ち切り。未商品化。

映画
サスケ(2001年)
日本テレビ系のバラエティ番組『進ぬ!電波少年』の企画で制作されたショート・ムービー。あるアメリカの一般家庭にベビーシッターとしてやって来た、松本扮する忍者「サスケ」が一騒動巻き起こすというもの。アメリカ人を笑わせる事を目的として制作され、アメリカ人が好きだという天丼(業界用語で同じネタを何度もリフレインする事)をうまく採り入れた松本らしい作品になっている。その結果、現地のアメリカ人200人(性別、人種も実際のアメリカ国内の比率に合わせてある)に向けて上映を行う。未商品化。

大日本人(2007年)
企画・監督・脚本・主演の四役を務めた劇場初監督作品。第60回カンヌ国際映画祭監督週間部門・正式招待作品。

しんぼる(2009年)
インターネット配信
ザッサー (2006年)
第2日本テレビ
で配信されるVODオリジナルコント。企画構成・松本人志。出演は松本人志、板尾創路、宮川大輔。

ビデオ
ダウンタウン松本人志の流 頭頭(とうず)(1993年7月9日)
オリジナルビデオ
作品。松本が監督・主演を担当。設定はよくあるホームドラマだが、一般的な食べ物として作中に登場する、得体の知れない物体『頭頭』が物語の鍵となる。

寸止め海峡(仮)(1995年1月20日)
同名の松本人志1万円ライブを収録したビデオ。 一番客の反応が良かった『写真で一言』のコーナーは、「入場料を払って観た客だけの特典」として意図的にカットされている。

松本人志のひとりごっつ 其ノ一~其ノ九(1997年)
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.りんご「約束」(1998年)
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.バナナ「親切」(1998年)
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.ぶどう「安心」(1999年)
わらいのじかん(2000年)
わらいのじかん2(2000年)
DVD
松本人志自選集「スーパー一人ごっつ」Vol.1~5(2002年 - 2003年)
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM 「完成」(2003年)
働くおっさん人形(2003年)
人志松本のすべらない話(2006年6月28日)
音楽作品
作詞家としてデビュー作は夢で逢えたらで作られた「A・MA・CHAでカッポレ」

1993年に番組の企画で作詞し、所ジョージが作曲したバラード・「ラブハンター」を唄・浜田雅功でCDリリース。

坂本龍一
・テイトウワのプロデュースで相方の浜田雅功と「GEISHA GIRLS (KEN&SHO)」として、1994、1995年にCDリリース。

浜田雅功が小室哲哉と組んだユニット「H Jungle with t」で「NHK紅白歌合戦」に出演した際、松本がGEISHA GIRLSの衣装で現れ、紅白初出場を果たす。1stシングル『WOW WAR TONIGHT』の間奏部分にも参加している。

1997年
、「エキセントリック少年ボウイオールスターズ」で作詞を担当。

1998年
、「日影の忍者勝彦オールスターズ」で作詞を担当。

2001年
、「Re:Japan」の一員として、『明日があるさ』をCDリリース。

2004年11月17日
、「浜田雅功と槇原敬之」のデュエット曲『チキンライス』で作詞を担当。

食玩
松本人志 世界の珍獣
(2003年)

キャラクター
サザエボン
サザエさん
とバカボンのパパが合体したキャラクターを「4時ですよーだ 」のワンコーナーで考案。数年後、これに酷似したキャラクターを商品化する業者が現れ、この業者は長谷川町子・赤塚不二夫サイドに著作権法違反で訴えられた(この裁判と松本は関係ない)。

ぐったりパンダ
番組ダウンタウン汁松本チャレンジコーナー上で『新しい珍獣』のお題に対し、よだれを垂らして昏倒している『ぐったりパンダ』を書いたこともあるが、その数年後に似たコンセプトの「たれぱんだ 」というキャラクターが商品化された。このため松本は『ガキの使い』にて自分のアイデアのまねであるとして糾弾した(実際にまねであるかどうかは不明)。

出演
松本人志個人での出演作品を記載。ダウンタウンとしての出演作品はダウンタウンの出演の項目を参照。

映画
サスケ(2001年)

明日があるさ THE MOVIE
(2002年)

大日本人
(2007年)初監督・脚本。

しんぼる
(2009年)

テレビドラマ
長らく出演を控えてきたが、『伝説の教師』で主役となる。これには、同じく『鉄道員 (小説)』出演まで演劇関係の出演をしなかった志村けんの影響があったといわれている。

竜馬におまかせ!
(1996年、日本テレビ、「町娘」役;友情出演)

伝説の教師
(2000年、日本テレビ、南波次郎役)

明日があるさ
(2001年、日本テレビ、「謎の男」役)

のだめカンタービレ
(2006年、フジテレビ、「松本人志」役でゲスト出演。)

バラエティー
一人ごっつ
(1996年 - 1997年、フジテレビ)

新・一人ごっつ
(1997年、フジテレビ)

松ごっつ
(1998年、フジテレビ)

わらいのじかん
(1999年 - 2000年、テレビ朝日)

わらいのじかん2
(2000年、テレビ朝日)

松本紳助
(2003年4月から松紳)(2000年 - 2006年、広島テレビ→日本テレビ)

M-1グランプリ
(2001年 - 、朝日放送)

SMAP×SMAP
特別編 中居正広Singles(2001年、フジテレビ 中居と松本の対談)

サイボーグ魂
(2002年 - 2003年、TBS)

働くおっさん人形
(2002年 - 2003年、フジテレビ)

モーニングビッグ対談
(2003年、フジテレビ)

人志松本のすべらない話
(2004年 - 、フジテレビ系)

働くおっさん劇場
(2006年 - 2007年、フジテレビ)

笑っていいとも! テレフォンショッキング
(ゲスト、2007年6月1日)

さんまのまんま
(ゲスト、2007年6月1日)

SmaSTATION
(ゲスト、2007年6月2日、テレビ朝日)

松本見聞録
(2008年、TBS)

ドキュメンタリー
NHK BS 10周年スペシャル「松本人志の本当」(NHK-BS、1999年1月29日)

ゲツヨル!
特別版「松本人志 すべてを語る」(日本テレビ、2007年5月28日)

松本人志の大人間論(NHK BSハイビジョン・BS2・総合、2007年6月21日[9])

舞台
寸止め海峡(仮)(1994年)
入場料1万円の「演者が客を選ぶ」ライブ。今田耕司・板尾創路・東野幸治らが出演。

松風'95 (1995年)
スライド写真にコメントを付ける形式の単独ライブ。入場料を観客の評価に委ね、見終わった後に出口で払ってもらう「料金後払い制」をとった。

ラジオ
放送室
(2001年 - 2009年 JFN)

CM
コカ・コーラ
 缶コーヒー「ジョージア ZOTTO」(1996年)

ツーカー
 企業CM(2003年 - 2008年)※後期はポスターのみの出演。

サントリー
「スーパーブルー」(2004年)

玉姫殿
ザ・ハイロウズ
、ベストアルバム「FLASH ~BEST~」(2006年)

イラスト
ザ・ハイロウズ シングル「千年メダル」「真夜中レーザーガン」アルバム「ロブスター」のジャケットイラスト

著書
遺書(1994年9月、朝日新聞社)ISBN 978-4022568090

松本(1995年9月、朝日新聞社)ISBN 978-4022568984

松風'95 HITOSHI MATSUMOTO 4D-EXPO(1996年6月、朝日出版社)ISBN 978-4255960098

「松本」の「遺書」(1997年7月、朝日新聞社)ISBN 978-4022611918

上記2作を1冊にまとめた文庫。

松本人志 愛(1998年9月、朝日新聞社)ISBN 978-4022573001

松本坊主(1999年1月、ロッキング・オン)ISBN 978-4947599629

伝説の教師
(2000年7月、ワニブックス)ISBN 978-4847013508

図鑑(2000年11月、朝日新聞社)ISBN 978-4022575500

松本紳助
(2001年12月、ワニブックス)ISBN 978-4847014154

松本シネマ坊主(2002年1月、日経BP社)ISBN 978-4822217334

哲学(2002年3月、幻冬舎)ISBN 978-4344001664

松本裁判(2002年3月、ロッキング・オン)ISBN 978-4860520021

裏松本紳助(2002年10月、ワニブックス)ISBN 978-4847014734

プレイ坊主 松本人志の人生相談(2002年12月、集英社)ISBN 978-4087803648

放送室(2003年7月、TOKYO FM出版)ISBN 978-4887450837

放送室の裏(2003年7月、ワニブックス)ISBN 978-4847015151

定本「一人ごっつ」(2003年9月、ロッキング・オン)ISBN 978-4860520243

松紳(2004年6月、ワニブックス)ISBN 978-4847015595

好きか、嫌いか - 松本人志の二元論(2004年10月、集英社)ISBN 978-4087804010

放送室 その2(2005年2月、TOKYO FM出版)ISBN 978-4887451193

シネマ坊主2(2005年6月、日経BP社)ISBN 978-4822217440

好きか、嫌いか2 - 松本人志の最終裁判(2005年10月、集英社)ISBN 978-4087804225

放送室 その3(2006年4月、TOKYO FM出版)ISBN 978-4887451582

松本人志のちょっとした言葉カレンダー2008(2007年11月、日経BP出版センター)ISBN 978-4847017469

シネマ坊主3(2008年6月、日経BP出版センター)ISBN 978-4822263218

松本人志の怒り 赤版(2008年8月、集英社)ISBN 978-4087805031

松本人志の怒り 青版(2008年8月、集英社)ISBN 978-4087805048

関連書籍
吉本興業・松本人志未公認

怪人・松本人志の謎(1995年、コアラブックス)ISBN 978-4876932610

怪人・松本人志のホンマごっつ(1998年、コスミックインターナショナル)ISBN 978-4885328503

松本人志ショー(1999年、河出書房新社)ISBN 978-4309263717

松本人志 尼崎青春物語(2003年、コアハウス)ISBN 978-4898091395

連載
オフオフ・ダウンタウン(週刊朝日、朝日新聞社)1994-1995年

のちに「遺書」・「松本」とタイトルをつけて単行本化。

松本人志のシネマ坊主
(日経エンタテインメント!、日経BP)1999年6月~2008年6月号

「プレイ坊主」として3冊の単行本が出版されている。

松本人志のプレイ坊主(週刊プレイボーイ、集英社)2000年7月18日号~

「プレイ坊主」・「松本人志の怒り」はこの連載からの単行本。

特集・対談など
2007年6月頃、大日本人公開に合わせてインタビューのラッシュがあった。全リストは脚注参照[10]。

松本人志 + ナンシー関(CREA、文藝春秋)1994年5月号

ナンシー関との対談。

天才とバカの間(別冊新潮45、新潮社)1998年2月号

ビートたけし
との対談。のち文庫化 ISBN 978-4101225500

初監督映画「大日本人」を撮り終えて(AERA、朝日新聞社)2007年4月30日-5月7日合併号

松本人志は悲しい(CUT、ロッキング・オン)2007年6月号

「大日本人」ラウンドインタビュー全公開(広告批評、マドラ出版)2007年6月号(315号)

総力特集 松本人志(QuickJapan、太田出版)2007年6月11日(Vol.72) ISBN 978-4778310806

大松本論(BRUTUS、マガジンハウス)2007年6月12日号

茂木健一郎
との対談など。

松本人志が描く、日本人の真実とは!?(GQ JAPAN、コンデナスト・ジャパン)2007年7月号

松本人志、何と戦う!(CUT、ロッキング・オン)2008年6月号